“テクノロジー”とは

第6章 “テクノロジー”とは

 「テクノロジー」の語源は、図1に示しますように,ギリシャ語でテクネー+ロゴス,つまりロゴス(論理,調和,理性,法則等々)を伴うテクネー(技)を意味していました[1][2][3].

図1


 古代ギリシャの哲学者プラトンはテクネーについてどのように考えていたでしょうか.

 表1を見ていただきましょう.ここでは学習術がテクネーに分類されています.筆算などを繰り返し練習して能力を高めることなどは,機械的な作業を繰り返し行って能力を高めることと同じであると,プラトンは考えていたわけです。

 “学習“という言葉が,もともと“学んだことを何回も繰り返し復習する過程の中で得られる新しい発見への期待”を意味したことと合わせて考えてみると面白いことですね.さまざまな知識を丸暗記的に身につけることは,ロゴス(学問)ではないと考えていたのかも知れません.

表1


 プラトンは天上に理想的な(普遍的な)形としてのイデアが存在し,地上にあるものは全てイデアの写し,コピーに過ぎないと考えていました.例えば家の中にある机や椅子,野にある花や木はそれぞれ天上にある理想像(イデア)の写しというわけです.

 プラトンはこの考えのもとで,例えば机や椅子を描く画家は,天上にある理想像の“写し”をさらに写しているわけですから,芸術家としては、とうてい認められないと考えました.そしてプラトンは,このような考えのもとに吟遊詩人ホメロスの作品をも否定しました[3]。

 どうしてそのように考えたのか,現代を生きる私達には不思議な気がしますよね。ひょっとするとホメロスに描かれる“神”がイデアとしての神ではなく写しとして描かれている人間的な神であると考えたのかも知れませんね。

 ドイツの哲学者ハイデッガーは、ドイツ語のテクニーク(Technik)の語源がギリシャ語のテクネー(techne)であるとして、図2に示したような興味深い解釈を与えています[3].

テクネー = 蔽いをとって顕わす働き
= 真理の自己顕示

 この解釈は非常に興味深いと思います.何故ならテクネーは,


蔽い(カバー)をとる働き



真理が明白にあらわれること



ディス・カバー(発見)



図2:テクネーとは


となって“発見”へとつながるからです.

 蔽いをとって現れてくるもの,それこそが“真理”です。“真理”に対応するギリシャ語はアレーティア,つまり“蔽われていないもの”なのです.従って,テクネーとは

 テクネー = 真理発見への働きかけ

と解釈することができます!

 結局、テクノロジーは語源を辿ると

 “テクノロジー=真理発見への働きかけと表裏一体となってこれを強力に支える学問”

と解釈することができるでしょう。

 私達はテクネーに伴うべきロゴスの部分を忘れることがあってはならないのです.
 コンテンツの世界を真に人類の福利の向上に資するよう構築するために必須となるロゴスの世界を,のぞいてみることにしましょう.

ロゴスを伴ったテクノロジーの登場

 ロゴスを伴ったテクノロジーはいつの時代に登場したのでしょうか.残念なことにこのことについて明白に記述した著書を私は知り得ていません.
 しかし下村先生の著書[4]を参照すると,高度に発達した数学に基礎を置くロゴス(理性,調和,論理,法則,比例,…)を伴ったテクノロジーとして以下をあげることができるでしょう.

  1. バビロニアの占星術
  2. エジプトの測地術
  3. ギリシャ「ポリス」における音楽

 これらの全てに共通することは国家安泰,人々の精神的安らぎに寄与したことです.それぞれについて、下村先生の著書[4]を参照して解説してみましょう.

バビロニアの占星術

 神々への供え物として捧げられる動物の内臓の形あるいは溶けた金属が水中で作る形状によって、国家が進むべき将来方向を決定するという「形の占術」を脱皮して,高度の数学に支えられた「天文学としての占星術」が,バビロニアに登場したのは紀元前6世紀頃のことです.

 バビロニアの占星術を基本から支えたものは「数学」でした.フォーブス,ディクステルホイス両先生はその著書[5]の中で,


 “古代,自然現象を理解するために数学が応用された唯一の分野は理論天文学であり,バビロニアの数学は紀元前300年頃迄に,将来の惑星の位置を計算することができた”


という非常に興味深い内容の記述をしています.

 バビロニアでは,占い師達が訪れてくる人々の運命を占う際,その人達の誕生時の天体間の距離,惑星の位置等を厳密に算出して運命を占っていた,といった風景が目に浮かんできますよね.

 史上最高の数学者とも称されるガウスが,この高度に発達した数学に基盤を置くバビロニアの天文学に深い関心を寄せていたことは,以下の史実によって疑う余地のないことでしょう.

 ガウスは,25歳の頃,イタリアの天文学者ピアッツィによって発見された後,時を経ず太陽に隠れて姿を消してしまった小惑星ケレスの軌道計算に成功し,12ヶ月の期間を経て再び視界に入ってくるであろう位置を厳密に予測しました.そして,見事ケレスの再発見に結びつけました.
 この再発見こそがガウスを国際的数学者としての位置に押し上げました.彼は30才の若さでゲッティンゲンの天文台の台長さんになっています[6].

 ガウスに限らず,16〜18世紀の大数学者フェルマー,オイラー等々による数論研究のモーティベイションが,ロゴスの基礎となった古代の数学とその思想にあったことは全く疑う余地のないことでしょう.

エジプトの測地術

 1万年前,ヴュルム氷期が終わり,溶けた大量の氷が海水を冷やし,気温の低下を導きました.このことで狩猟による食料の確保が難しくなり,人々は農耕,牧畜によって食料を確保するようになりました.移動から定住へとその生活のスタイルがすっかり変わったわけです.

 農耕生活のくらしの中で,毎年くり返されるナイル川の氾濫は上流の肥沃な土壌を沢山にもたらしてくれました.母なる大河,ナイルのめぐみを最大限に引き出すために,そして土壌におおわれてしまった土地を正確に再測定するために測地術が発達し,生活に役立てられました.

 エジプトの測地術はナイル川のめぐみを最大限に利用することを可能とし,国家に安寧をもたらし,人々の生活の向上に役立ちました.

ギリシャにおける音楽

 ギリシャのポリスにおける音楽活動の特徴は,音楽にかかわるさまざまなテクネーが,十分に発達したロゴスの基盤の上に集められて,構築されていたということにあります.

 古代ギリシャでは作詞家は,同時に作曲家であり,また聴衆は,我を忘れて音楽に浸る協演者として存在していました[4].
 下村先生は,音楽は国家にとって教育的,倫理的,宗教的意義を有するとともに司法的意義もあったとおっしゃっています.音楽という形での綜合的なテクノロジーがギリシャには存在していたのです.

 音楽が演じられるギリシャの劇場では、さまざまな形でロゴスが生かされていました.例えば心地よい協和音(ハルモニア)を生み出すために,座席の間にある穴倉の中に青銅の壷(アーケイア)が配置されました.柱の大きさ,高さについては互いに単純な比例関係にあることが最優先されました[7].ギリシャの劇場の設計には至るところに比例,ハルモニア等のロゴスの精神が生かされていたのです.

 ロゴス思想は普遍的な形,数量的比例を世界の根本と見る思想であり,テクネーに比べ遥かに高度に発達した学問の世界を構築することとなって,自由人の世界で受け入れられました.

 ロゴスの部分はギリシャにおいて高度に発達した数学の世界を構築し,ルネサンスに至るまで人類の精神史に大きな影響を及ぼすこととなりました.

 一方,奴隷の世界に入ったテクネーが,ロゴスによって助けられる、ということはありませんでした。つまり奴隷の過酷な肉体労働を和らげるために,ロゴス(学問)が役立てられるということはおこりませんでした.どうしてロゴスの成果が,テクネーに応用されなかったのでしょう.この理由は以下のように考えられます.

  1. 紀元前5世紀,ギリシャはペロポンネソス戦争でカリキュアに勝利し,多数の奴隷を連れ帰りました. 後世になってシーザ父子に仕えたローマの建築家ウィトルーウィウスは,その著書『建築書』において,(奴隷たちに同情しつつも)奴隷たちはカリキュア国に代わって償いをしているのだから,ひどい恥辱を負わされても,致し方のないことであったと述べています.
     肉体労働に委ねられているテクネーの部分を高度に発達した数学を応用することにより,肉体労働を強いられる奴隷の苦痛を救うという発想は全くなかったのです.

  2. 人々にとって道具等を利用して自然に働きかけることは自然を汚す行為であり,神を冒涜する行為でありました.後世,古代ローマの詩人ウェルギリウスは

       “海を櫂でかき乱し”
       “小船で海の精をおびやかし”
       “大地が鋤(すき)に,葡萄が鎌(かま)に苦しめられる”

    などと詠んでいます.この詩からも,古代ギリシャ,ローマ時代の人々の自然に対する考え方を生き生きと知ることができるでしょう.


 古代ギリシャでは自らの手や足,肉体の力によって自然に働きかけることだけが,倫理に適うことだったのです[1].

数えることの不思議

 前述のようにテクノロジーはもともと

 テクノロジー = テクネー + ロゴス

でありました.ロゴスの動詞形レーゲンは“数える”,“集める”ことを意味しますが,このことはロゴスの基本は数学あるいは数学的な思索であることを教えています.

 しかし注意しなければならないことは,“数える”と言っても,計算術つまり感覚によって知覚される範囲で数える行為とは全く質を異にするということです.ロゴスにおける数える行為は “数の本質”への思索なのです.古代ギリシャの神秘的な数学の世界をのぞいてみることにしましょう.

 プラトンは深い思索によって,感覚でとらえることができるもの,例えば家の中の机や椅子は,(天上に存在する)普遍的な形をもつ机や椅子の“イデア”の似像(にぞう),写しに過ぎないと考えました.真の存在は神の与えたイデアであって,私達が感覚でとらえている存在は,イデアの似像いわばコピーに過ぎないと考えたのです[3].

 このことを数学的な例で考えてみましょう.例えば黒板にチョークで描かれる円は,“白いやせたドーナツ”であって“完全な円”ではないはずです.にも拘わらず私達は,完全に幅0のドーナツとしての円,すなわち感覚では目にすることができない完全な円が確かに存在していることを知っています.幅0の丸いドーナツ、これこそがイデアとしての円です.

 ギリシャの数学の一つの側面を図3に示しましょう.

図2


 ギリシャの「数学」は

  1. 数論
  2. 天文学
  3. 幾何学
  4. 音楽


でありました.これらには共通して配分の妙(ハルモニア)が支配しており,このことを知ることによって魂が淨(きよ)められると、古代ギリシャの人々は考えました.

 図3に示しましたように,ピュータゴラスは数学を究めることによって,来世により良く生れ変わることができること,すなわち輪廻転生を信じていました.

 狩猟にかわって始まった農耕生活は四季の変化に強く支配されます.このために人々はくらしの中で,星達の規則正しい変化を知ることが“生きるための技術(生の技術)”として必要となりました.
 本多先生もその著書[3]で指摘しているように、数学、天文学に基盤を置く拝星数は図4に示したような経過によって、上述のピュータゴラス教団の数神秘思想につながったのです。

図3


 ここで古代ローマの建築家ウィトルーウィウスの著書[7]の中に,ピュータゴラスについて興味深い著述があります.以下に紹介しましょう.

 図5にピュータゴラスが発見した三平方の定理(ピュータゴラスの定理)を示しましょう。


図4



 図5の直角三角形では

図4

が成立しています.3,4,5という宇宙を支配する単純な数の間に,こんな美しい関係が成立している!!ピュータゴラスはこの発見において,

 “親しくムーサエ(音楽の神々)のお告げを受けた!”

と信じ、最大の感謝の気持ちで,ムーサエに犠牲(いけにえ)を捧げたのでした.

 三平方の定理の発見を感謝して,神にいけにえを捧げるとは!
 現代を生きる私達には信じ難いことなのですが,ギリシャ時代,ロゴスの立場からの“数えること”は常に宗教,精神に直結することだったのです.
 “数えること”は命をかけての仕事であったと表現してもよいでしょう.人にとって“数えること”は命懸け、このことは古代ギリシャから古代ローマ,中世を経てガリレオ,ニュートンの時代まで鮮明な形で受け継がれていくのです.

 フランス革命の時代,革命家として劇的に生きた青年ガロアが残したGF(2)の世界の数,0と1,とは21世紀の今コンテンツを形づくる最小分子となって映像情報や音楽情報を表現し,ネット社会で生きつづけています[8].インターネット社会を根底から支えています.

 複素数の世界が数々の物理現象を単純明快に説明します.また,20世紀,多くの著名な数学者が心血をそそいで研究した代数曲線(algebraic curve)の世界は複素数の世界に匹敵する神秘的に美しい数学の世界を誕生させました[9].

 代数曲線上の公開鍵暗号,私自身が発見に寄与した代数曲線上のヴェイユ・ペアリングに基づくID暗号等々はコンテンツの安全性を守るための必須の武器となっています[10][11].


 こういった仕事は古代ギリシャ時代の“数えること”の精神を強く受け継いでいると思います.

 映像や音楽コンテンツのビジネスを展開する企業や行政の人達,そしてまたこれを楽しむ人達が,こういった数の世界のことには全く無関心で,ビジネスとは無縁なこと,数学者,技術者にまかせておけばよい,といった姿勢つまり湯川博士が戦後指摘された“普段着の思想”を欠いたままの姿勢で,情報文化の世界を突き進むならば,その行く手にはコンテンツ後進国への道が待っているだけでしょう.

何故,音楽が数学なのでしょう

 “何故,音楽が数学?”と少し奇異に感じるかもしれません.しかし「ギリシャの数学」の本質は,「音楽」によって初めて語れるのです.

 ミヒェルス先生編纂の『図解音楽事典』[2]を読んでみますと,図6に示すように音程が協和(ハルモニア)するのはオクターブ,クインテ,クワルテであると説明されています.

図3


 1,2,3,4という最も単純な数の組み合わせで音の協和(ハルモニア)が生み出されるという事実は,古代ギリシャ人にとっては想像を絶する神秘的な発見でした.

 ギリシャのポリスにおいて,国家そして人々にとって最大の関心事は劇場において演じられる音楽でした.この音楽において,宇宙を支配する数比が成り立っていることの発見は,人々に音楽への驚きを与えたのではなく,音楽を通して数への想いを神秘的に深めさせることに結びつきました[4].

 音楽における単純な数比の成立は,音楽における数学理論の重要性を意味したのではなく,数の本質が音楽によって啓示され,そしてこの数こそが宇宙を支配しているという事実でした[4].ギリシャにおいて音楽が「数学」の一つの分野となった理由がここにあります.

 ピュータゴラス派には,

 “宇宙は歌い,ハルモニアに一致して構成されている”
 “全天はハルモニアにして数”

という確信があったのです([4], p233).


 このような考えは占星術の世界にも及んでいます.後期ヘレニズム時代の占星術では“太陽は惑星の唱歌隊のリーダとされていました([4], p80).

 17世紀,ガリレオ・ガリレイは著書『偽金鑑識官』において,

 “宇宙は哲学書である.書かれている文字は三角形,円等の幾何学的図形である”

と述べています.ガリレオの考えは,宇宙は数であり,単純な幾何図形であり,音楽であるというキリスト以前の考え方,すなわちギリシャの考え方につながるものであり,これこそがガリレオの心の拠り所であったのではと想像されます[1].

 因みに古代ローマの建築家ウィトル―ウィウスの著書『建築書』[7]に目を通してみますと、

 “円運動を行う火星、金星、木星、土星などの惑星群の動きは太陽が三角形(三角座)の内にあるか外にあるかによって支配される”

といった記述に目がとまります。円、三角形そして単純な数比が宇宙を支配しているという古代ギリシャの宇宙観、世界観にガリレオは心の拠り所を求めていたのではないだろうか、と考えてしまいます。

オクターブのハルモニアの不思議

 1:2の8度オクターブ差が生み出すハルモニアが何故古代ギリシャの人々にとって,神秘的な驚き,そして重要なことであったのでしょうか.清水先生は以下のように述べています[12].

 “オクターブ差の音を同一と知覚する8度相似性は集団を統御することに非常に重要な役割を果たす”

 とても重要な指摘ですよね。男性の低い声も,女性の高い声も和して一つの歌を歌うことができます.動物界の中で唯一ヒトだけが有する不思議な特徴でしょう.
 呪文を心を合わせて唱えることができること.このヒトにおける不思議な音のハルモニアの存在こそヒトをして統一のとれた集団のメンバーとして心を通わすことを可能としたと思います.

 有史以前の狩りの場において,そして原始宗教としての呪術の場において,人々はさまざまな場で声そして心を一つに和し,豊かなコミュニケーションの世界をつくりあげました.
 オクターブのハルモニアが最も社会的な生物としてのヒトを進化させ,感性を育み,ヒトをしてホモ・サピエンス(理性ある人)に至らしめました. 21世紀コンテンツの世界の幕開けを前にして,私達人類には今,この事実を深く深く考えてみる姿勢が求められています.

ギリシャの幾何学

 図7に描いた三角形を見てみましょう.プラトンは

 “この三角形の斜辺はエジプトの測地術を如何に精密化しても,測ることはできない.実在(イデア)としてのこの三角形の斜辺は√2なのだから”

といった内容の主張をしています.

 人の感性ではとらえることができない“数”がイデアとして存在し,その“数”を追求することによって魂が淨められ救われるという思想は,現代を生きる私達にも遺伝子のレベルで受け継がれているように思われます.

図4


古代ローマに、テクノロジーはあったか

 ここで読者諸賢から,古代ローマには立派なテクノロジーがあったではないか?というご指摘を受けるかも知れません.実際,NHK教育テレビが2005年9月14日,21日の両日「脅威!古代ローマのテクノロジー」という番組を放映していますので,多くの人達が古代ローマには確かなテクノロジーが存在していたと主張するかもしれません.

 しかし、このテレビ番組でも古代ローマの著名な建築家として紹介されていたウィトルーウィウスが著した『建築書』を詳しく読む限り,ロゴス(数学,物理学)に支援されたテクノロジーがローマにおいて開花していたとは,とても考えられないのです.しかし,この理由については,かなりの紙幅,ページ数を要しますのでここでは割愛させていただき,機会があれば述べさせていただくことにしましょう.

テクノロジーの復活

 テクネーはロゴス(数学)を伴わないままローマ時代を経て中世に至ります.そして14〜16世紀ルネサンスの開花によって,ロゴス(数学)を伴ったテクネーすなわちテクノロジーが,理論的知識と実際的知識とを融合した形で復活し,華やかな近代科学文明をヨーロッパを中心に築き上げることになりました.この模様を図8に示しましょう.

図5


 ルネサンスの開花とともに人類は文化的,科学的に大きな飛躍の時代を迎えることとなりました.ガリレオ,デカルト,ニュートン等々の数学,物理学がヨーロッパを中心に近代文明を誕生させました.しかし,このことは必ずしもスムーズに運んだわけではなく、その誕生には想像を絶する多くの障害が立ちはだかっていました.

 ガリレオが“科学革命”で対峠したのはなんと彼よりも2000年も前の昔を生きたアリストテレスであり,アルストテレスの運動論,宇宙論を善しとするイエズス会でした.しかしキリスト教会と対峠していたのは,勿論ガリレオ一人ではありませんでした。テクノロジーの復活の前に立ちはだかっていた無限大,無限小の世界を覗いてみましょう.

無限大,無限小の世界への挑戦

 下村先生は、ギリシャで論じられた「無限」は神秘思想に通じるものであって、“神は最大にして最小である”という考えがあったと著書で述べています.

 下村先生は数学の歴史は単に「数学の歴史」ではなく,人類の「精神の歴史」であったと述べています.数学の歴史は精神の歴史でもあったがために,命をかけた歴史でもありました.
因みに無限について論じたブルーノは1600年,異端者としてローマで火刑に処されています.まさに数学の歴史は命をかけた歴史でもありました.

 ニュートン,ライプニッツによる微分積分法は,勿論この神の領域である無限大,無限小への挑戦でありましたが,ニュートンが議論嫌いであったこと,ライプニッツがスコラ哲学の用語を用いて無限を論じ,結局無限を「絶対者」の世界に委ねていること([4],p348)を考えますと,両者の無限への挑戦は消極的な姿勢での挑戦であったと思われます.

テクノロジーの復活は順調でしょうか

 古代ギリシャ以降,テクネーはロゴスの部分が伴われないまま,中世を経てやがてルネサンスを迎え,幾多の困難を乗り越えて再びロゴスを伴ったテクノロジーとしての姿を表すこととなりました.ようやく人類の福利の向上に役立つ(あるいは役立つ可能性をもつレベルに達する)こととなったのです。

 ギリシャ時代テクネーの暴走をとどめたものは


等々でありました.例えば三大悲劇詩人の一人アイスキュロスの『縛られたプロメティウス』は、プロメティウスが他動物に比べ,身を守る武器も持たない裸身,裸足のままの人間を哀れんで,“火”と“技術”とを与えた罪を神々に厳しく責められるという物語でした[3]。

 指数関数的に(爆発的)に急成長する演算技術(信号処理技術を含む),記録技術そして通信技術に支えられて、21世紀サイバー社会が,今,構築されようとしています.爆発的成長を遂げつつある巨大技術,情報技術を支えるロゴスの部分は万全でしょうか?

 ここでロゴスは多義語であったことをもう一度想い出しましょう.理性,調和,論理,法則,…さまざまな意味が含有されています.情報技術のテクネーの部分の暴走をとどめる「倫理」,「哲学」には、従来以上に大きな役割を果たすことが希求されています.

しかし,これらの分野の発達は十分でしょうか?



むすびにかえて

 第5章の“技術”に関する記述に比べ,第6章のテクノロジーに関する記述が過大になったことを反省しますけれど,自然に筆を運んでこの結果になったのは何故であろうかという新しい思いに,私を向わせることになりました.

 この記述分量の差がそのまま日本の政治家,教育者,産業界にある人,これから技術の分野に向おうとする若い学生達が脳裏に浮かべる“技術”と欧米の人達の脳裏に浮かべる“Technology”との差を示唆しているとしたら、これは非常に大きな問題でしょう。

 “技術”について考える姿勢と“テクノロジー”について考える姿勢の差はそのまま,テクノロジーに取り組む基本姿勢において諸外国との間に測り知れず大きな差を潜在させているのではないでしょうか.このまま進めば21世紀の我が国の技術の将来に、決して光は見えてこないのではと結論されます.



参考文献:
  1. 笠原正雄,『情報技術の人間学―情報倫理へのプロローグ―』,電子情報通信学会,コロナ社 (2007-02).
  2. 笠原正雄,“情報技術に向う姿勢.その基本の基本.(招待講演)”,信学技報 SITE2007-44 (2007-12).
  3. 本多修郎,『技術の人間学』朝倉書店,(1975).
  4. 下村寅太郎,『下村寅太郎作集』,数理哲学・科学史の哲学,みすず書房,(1988).
  5. R.J.フォーブス,J.E.ディクステルホイス(著)広重徹,高橋尚,西尾成子,山下愛子(共訳),『科学と技術の歴史』,みみず書房,(1977)
  6. 伊東俊太郎,坂本賢三,山田慶児,村上陽一郎,科学誌技術史辞典,弘文堂,(1983).
  7. ウィトル‐ウィウス(森田慶一訳語),『ウィルス‐ウィウス建築書』,東海大学出版会,(1979)
  8. 笠原正雄,佐竹賢治:『誤り訂正符号と暗号の基礎数理』,映像情報メディア学会編,テレビジョン学会教科書シリーズ,コロナ社(2004-03)
  9. 笠原正雄,格子理論とその応用ガイダンス,代数曲線とその応用特集,電子情報通信学会論文誌 A Vol. J82-A No.8 pp.1239-1252(1999)
  10. 森山大輔,西巻陵,岡本龍明:“公開鍵暗号の数理”,日本応用数理学会(2011).
  11. F.Blake, G.Seroussi, and N.P.Smart:『Advances in Elliptic Curve Cryptography』,Combridge University Press (2006)
  12. 本吉良治,心と道具―知的行動からみた心理学,培風館,(1995)

   


TOPページへ   次章へ